ガシガレ

社内SEのヒトリゴトです。

「食べる」と「飲む」って何で別の言葉なんだろうという話

かわいすぎも2歳が過ぎ、最近は
「いんご、たーたーい」(=りんご食べたい)というような感じで、食べたいものをねだるようになってきました。

 とてもかわいい。なんでこんなにかわいすぎているのだろうか。

いきなり話がそれますが、まだR(ラ行)の発音がうまくできないようで、

  • りんご → いんご
  • らいおん → いよいよん(稀に「さん」付け)
  • ドクターイエロー → おっかーいーよー
という感じになります。かわいすぎかよ…
 
そんなこんなで色々と欲しいものを「たーたーい」とねだるようになってきたのですが、飲み物も「たーたーい」なんですよね。「おちゃ、たーたーい」みたいに。
一応「のみたい」だよと伝えるんですが、まぁ治りません。本人からしたら違いもよくわからないし。発音的にも「たーたーい」の方が全然ラクだと思います。「たーたい」は子音が一種類なのに対して、「飲みたい」なんて「No Mi Ta i」3つも異なる子音が入ってますからね。まだ3コンボは難しい。
 
そんな中、ふとこんなことを思いました。
そもそも、どうして「食べる」と「飲む」という言葉は別々に使い分けられているんだろうか。
口に含んで体内に取り入れるという意味では同じことなのに。簡単にググってみましたが、適当な記事にはヒットしませんでした。両者の違いについてはいくつか出てきますが、なぜ食べると飲むという言葉が別々に定義されるようになったのか(あるいは分岐した?)ということについてはよくわからず。
 
英語圏ではスプーンで液体を口に運ぶ場合は「drink」ではなく「eat」を使いますよね。スープとかね。ちなみに薬などを飲みこむときは「spallow」を使うらしいです。つばめみたいに丸呑みにするイメージでしょうか。逆ピッコロさんみたいな感じですかね。
一方、日本ではスープに対しては「飲む」が使われるのが一般的ですね。
 
日本では以下のような場面で「飲む」が使われていると思われます。
・液体を口から取り入れる
・咀嚼しない
 
先にお断りしておくと明確な答えにたどり着くことはなかったんですが、おそらく、古代での「飲む」はほとんどが「水を飲む」ことだったと思うのですよね。川とか池とかの水。つまり水分を取ること。
一方で「食べる」は狩猟採集の結果得た、動物の肉や木の実などを体内に取り込むこと。生命維持や空腹を解消するための活動がたまたま「食べる」だったのではないかなと思うわけです。人間には水が必要ですが、生命を維持し続けるためには必ず食べなくてはならない。「食べる」という行為は「飲む」ことと同等以上に重要なことだったため、使い分ける必要があったのかなぁ…。もし、人間が水だけで生きていける生き物だったとしたら、「食べる」とか「飲む」みたいに言葉が分かれることはなかったのかもしれないなーと。そんなことをぼんやり眺めながら、口にご飯をほおばるかわいすぎる息子を見つめるのでした。
 
現代の日本では餓死におびえるということはほとんどありませんよね。明日食えるかもわからない、、ということは基本的にはない。基本的には。
当たり前のことになっていて忘れがちですが、とても恵まれていることだと思います。
 
食料に怯えることなく、毎日おいしいご飯を食べることができること、そして元気にたくさん食べるかわいすぎる様子を眺められることは、本当に幸せなことなんだなーなどとと思うのでした。
 
今日も読んでくれてありがとうございました。
おいおいほっぺにご飯粒ついてるよ。なんで耳の後ろや足の裏にもついてるんだよ