ガシガレ

社内SEのヒトリゴトです。

最初の職場の話③退職編

そんなこんなで早期退職の期間も終わり、4割程度の社員が会社を去りました。私の部署でも50代の方が何人かいなくなりました。

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 リーマンショックが始まる少し前のことになります。当時まだ若かった私は、とにかく仕事が大好きでした。特にExcelVBAが楽しくて仕方なかった。VBAに夢中になっていました。ユーザーと直接会話をしながら仕様を固め、ワークシート上で表現していく。Excelはどんなことでもできました。単純な在庫管理から、製品の投入予定を視覚的に管理するツール、帳票を発行するツール、セルの保護機能などを利用したワークフローも作りました。ユーザーから見たら今まで面倒な作業の対象でしかなかったExcelが、目の前で自動でしゅばばばーと処理をしてくれるのは痛快だったようです。あえて画面更新処理を止めずに実装することも多かったです。

 これらをガンガン作るために、当時はガンガン残業しまくりました。残業代を稼ぐ行為は単なる時間の切り売りでしかないということは当時は思いもしませんでした。働けるだけ働いて、喜んでもらえて、その分お金がもらえる。サイコー!と、信じて疑っていませんでした。

 リーマンショックが起きて、経営からは「残業削減」の大号令が発信されました。一般的には、情報システム部門は間接部門であり、直接利益を生み出さない部門とされています。当然この会社もそうでした。「直接的な製造部門ならともかく、間接部門が残業するなんてとんでもない」というどんよりとした雰囲気が漂っていました。業務効率化は大事だけど、今は残業してまでやるほどのことでもないよね。と。
 それは正しい指摘だったのかもしれません。しかし若かった私は翼を折られたと感じました。アイデンティティはぼこぼこに崩壊しました。翼の折られたペンギンになってしまったのです。

 追い討ちをかけるように、当時私を非常に可愛がってくれていた上司が異動となり、新しい上司がやってきました。新しい上司は有名大学出身で、社長の親族でした。勉強はとてもできますが、一方で仕事が激烈にできない。会議中に寝る、部下の管理ができない。他部門との調整ができない。話がおもしろくない。etc 正直尊敬できる箇所が一切ありませんでした。
 そして、この人は私の何倍もの給料をもらっている。全然仕事していないのに誰にも咎められることなく、のほほんと生きている?辞めていった人たちはこの人のために辞めていったのか?

 

ある日、心がぽきっと折れました。

この会社で働く意味ってなんなんだろう。生きていくためには仕事をしなくてはなりません。そして我々は仕事を自由に選ぶことができます。私は数年の社会人生活を経て欲が出てきたのか、はたまた別の理由なのか、もっと好きなことで好きなだけ仕事をして、もっと稼ぎたい!と思いました。そして、社内SEから一転してシステム開発会社、SIerに転職することを決意しました。面倒ごとが減って、プログラム開発に集中できそうやん!というそれだけの理由でした。今なら無言で一発殴りたくなる理由です。

 しかし魅力がありそうな、そして私を雇ってくれそうな企業は地元にはとても少なかった。私は20代後半でしたが、「一回くらい東京行っとく?」というとても軽いノリで上京することにしました。とりあえずビールでも飲みに行きます?くらいのノリです。えーっと…から揚げください!くらいの感じです。この時点でようやくただの蛙から井の中の蛙になれたのかもしれません。本当に無知で無鉄砲で後先を考えていない若者だったのですが、そんなバカ丸出しの過去の私の唯一のグッドポイントはこの決断だったのかもしれません。

 

というわけでくどくどと退職までの経緯を書かせていただきました。この続きはまた気が向いたときに更新してみたいと思います。

(1574文字、46分)